昭和31年5月21日生、福島県出身、東北歯科大学(現奥羽大学)卒業、日本大学松戸歯学部病理学教室兼任講師、歯学博士。
●趣味
ジャズ鑑賞、読書、生物、昆虫
大学卒業後、スキーツアー会社「四季倶楽部“旅”」で添乗員のアルバイトしながらスキーをしていました。会社の笹渕会長には可愛がってもらいました。昨年のスキーグラフィックというスキー雑誌に会長の豪快な滑りが載っていました。会長のような人になりたいと思いながら添乗員していました。今でもそう思っています。U-Tube,あいび矯正歯科で、私のボクシングの試合を見ることができます。2013年、10月、私のボクシング試合がBSジャパンのオトナイトで全国放映されました。 政治に全く無関心でしたが、安倍政権が発足すると事が一変。安倍政府の推し進める、格差、差別、核、戦争政策に反対する秋田大学教授の妹に刷り込まれ、保険医協会、日本科学者会議に入会しまい、本業の歯科の勉強は全くしなくなり、自然環境関連の本を読むようになりました。
●尊敬する人:ダーウィン、ホーチミン、ガンジー

●所属学会
日本歯科審美学会(認定医)、日本全身咬合学会(認定医)、日本顎咬合学会(認定医)、日本矯正歯科学会(認定医)、日本成人矯正歯科学会(認定医)、日本口腔病理学会、日本歯科心身医学会、東京矯正学会、日本科学者会議、保険医協会

●筆頭発表
機能的矯正装置の考察(1998年、関東小児歯科学会)、舌側矯正装置の活用法(1999年、国際舌側矯正歯科学会)、舌側矯正装置の目的とゴール(2000年、日本舌側矯正歯科学会)、顎関節疾患患者における行動と姿勢の管理(2000年、日本顎関節学会)、成長期におけるライフスタイルの管理(2000年、生育歯科研究会)、審美性回復のために包括的歯科治療の役割(2000年、日本歯科審美学会)、成長期の子供のライフスタイルの管理(2000年、アジア小児歯科学会)、成人矯正治療における考慮すべき事項(2001年、日本成人矯正歯科学会)、姿勢とライフスタイルの管理(2001年、日本顎咬合学会)、包括的歯科治療における審美性の回復(2001年、日本歯科審美学会)、矯正歯科治療の問題点(2002年、日本舌側矯正歯科学会)、包括的歯科治療の役割(2002年、日本顎咬合学会)、成人矯正歯科治療の問題点と対策(2002年、日本成人矯正歯科学会)、包括的歯科治療の役割(2003年、日本顎咬合学会)、成人矯正治療における歯周病学的配慮(2003年、日本成人矯正歯科学会)、包括的歯科治療の役割(2003年、日本歯科審美学会)、行動とライフスタイルの管理(2003年、日本全身咬合学会)、包括的歯科治療の役割(2004年、日本顎咬合学会)、小児歯科治療における患者教育(2004年、生育歯科研究会)、問診の役割(2004年、日本全身咬合学会)、歯科治療における生活指導について(2005年、日本顎咬合学会)、小児のライフスタイルの管理(2005年、生育歯科研究会)、健康を回復するための患者教育(2005年、日本全身咬合学会)、健康を回復するための包括的歯科治療(2006年、日本顎咬合学会)、包括的歯科治療を成功させるための診断とその治療(2006年、日本顎咬合学会)、包括的歯科治療における矯正治療の役割(2006年、日本成人矯正歯科学会)、患者教育を成功させるために(2007年、日本顎咬合学会)、見えない矯正治療を臨床に取り入れるために(2007年、日本歯科審美学会)、視診の役割(2007年、日本全身咬合学会)、舌側矯正治療を成功させるための原則(2008年、日本舌側矯正歯科学会)、歯周病と健康(2008年、日本顎咬合学会)、顎関節症のセルフコントロール(2008年、日本顎咬合学会)、包括的歯科治療の役割(2008年、日本顎咬合学会)、小児の口腔衛生指導(2008年、日本顎咬合学会)、包括的歯科治療の役割(2009年、日本顎咬合学会)、顔を考える(2009年、日本審美歯科学会)、ヒトの姿勢を考える(2009年、日本全身咬合学会)、見えない矯正治療を成功させるために(2010年、日本顎咬合学会)、患者教育を考える(2010年、日本顎咬合学会)、不正咬合の起源(2011年、日本顎咬合学会)、患者教育を考える(2011年、日本顎咬合学会)、矯正治療における顎関節の配慮について(2011年日本成人矯正学会)、顎関節症の行動指導について(2011年、日本全身咬合学会)、顎関節症における咬合治療の役割(2012年、日本顎咬合学会)、顎関節症における矯正治療の役割(2012年、日本成人矯正学会)、TMDにおけるスプリント治療の役割(2012年、日本全身咬合学会)、包括的歯科治療の役割(2013年、日本歯科審美学会)、パラファンクションのその対策(2013年、日本全身咬合学会)、Modified Twin Blockの考案(2015年、日本顎咬合学会)、機能的矯正装置の考案(2015年、日本顎咬合学会)、診断の基準線に自然頭位を用いた治療例(2015年、全身咬合学会)
●筆頭論文
小児の咬合管理(咬合誘導研究会誌,2001)、審美性回復のための包括的歯科治療の役割(歯科審美,Vol.13 No.2:159-165,2001)、舌側矯正治療のゴールとその目的(日本舌側矯正学会誌,2001)、包括的歯科治療による審美性の回復(歯科審美,Vol.14 No.2:88-92,2002)、包括的歯科治療により審美性を回復した1症例(歯科審美,Vol.17 No.1:10-18,2004)、矯正治療におけるオーラルハイジーン(矯正臨床ジャーナル6月号:73-82 2004)、アメロブラストーマの上皮の増殖活動(IJOMS Vol.3 July 2004)、顎関節における問診の役割(日本矯正歯科ジャーナル,2006,2)、矯正治療における歯周病学的配慮(顎咬合誌,Vol.29 No.4:290-297, 2009)軟組織評価を用いた審美歯科治療(日本顎咬合学会誌,Vol.36 No.1・2:71-90,2016)

●Ski
会的不適応の私は、就職もせず、愛犬のボンコとあこがれの沖縄を放浪していた。沖縄の基地にも入った。内地に戻ってから、「四季倶楽部旅」という会社のスキーバスの添乗員を始めた。旅行して、友達ができて、しかも、食事、宿泊付きで、お金までもらえる。私のように運動音痴でもある程度、スキーがうまくなる。モーグルやアルペンスキーなども少しはできるようになると、女性のお客さんからちやほやされるようになった。添乗員の仕事は東京駅で、バスにのるお客さんの点呼を取り、バスに乗せて、宿に送る。最終日に、お客さんを集めて、バスに乗せて、東京駅に送る。その間は、可愛い女のお客さんとスキーしていようが、宿で温泉につかっていようが、部屋で本を読んでいようが、その2点さえきちんとすればよいのだ。いい加減でエネルギーを使いたがらない私は、お客さんをスキー場に出してから蔵王の大宮旅館の温泉につかって、部屋に布団を敷いて、本を読んでいることが多かった。それでも、女性のお客さんから声をかけられれば、尻尾を振ってくっついていって一緒にスキーした。学生の添乗員さんの目的は、女性とのHが目当てだ。添乗員の部屋を「塚本ホイホイ」と呼んでいた。当時、東京理科大学薬学部の塚本君という添乗員部屋に女性を連れ込んでコトに及ぶのが上手な学生添乗員から由来していた。いろんな仕事を経験してきたが、添乗員ほど、楽しい仕事はなかった。小田原に移住してから、「アールベルグ」というスキー同好会に入った。会員の金内さんが良くスキーに連れてってくれた。車の運転が嫌いなので、金内さんの車の中で寝ているだけでスキー場に行くことができた。アールベルグのクラブ員の古郡さんは、よく、患者さんを紹介して助けてくれます。
四季倶楽部旅の事務所にいき、「また、添乗員させてください」と原田社長に行ったら、返答は、「三宅さん、何歳だと思っているんですか?」そういえば、添乗員は、Hが目的の学生さんがやる仕事だ。還暦を過ぎた男のやる仕事ではない。金内さん、また、スキーに連れてってください。四季倶楽部旅の笹渕会長、「おやじツアー」の添乗員させてください。

中央の白いウェアを着ているのが四季倶楽部旅の笹渕会長、右隣が会長のお子さんのさだか社長の小学生のとき、左となりがフリースキーのオリンピック選手、右端が私。笹渕会長、会長には色んなところに連れていっていただき、いろんな経験をさせていただきました。よく銀座のクラブに連れて行っていただきました。品のあるクラブで、下品な芸をやる会長を腹を抱えて笑いました。そこで働いていたホステスさんが時々、治療に来てくれます。左から2番目が、当時、四季倶楽部のアイドルだった「カナブン」、横浜から患者さんを沢山に連れてきてくれて、助けてくれます。当時、可愛かった面影は残っていますよ。会長は、銀座のクラブのみならず、山奥の山小屋、外国にも連れていってくれました。いい思い出を私の脳裏に刻んでくれました。 会長にありがとうございます。

●テニス、

川口市で、高歯科矯正医院を開業し、私をかばってくれる大先輩の高敬勲先生は、テニスが好きなので、共通の話題を作っておきたかったので、近くにある「富士見テニスクラブ」に入会してしまった。しかし、30年近く、会員になっているにも関わらず、あまりにも運動神経が鈍いので、人とラリーやゲームに誘われることもない。隣で、コートで打っている人達に劣等感を感じながら、壁打だけしていた。そのうちに、コートに出て打つよりも壁打ちの方を好むようになっていた。何度か、辞めようと思ったが、ママの和代さんは、患者さんを沢山連れてきてくれ、何時も助けられているので、辞めれなかった。もう、かなり古株の会員になっている。しかし、私の性悪のためか、毎年、行われているという、開業記念パーティ、忘年会や新年会に誘われたこともない。私は鈍いだけでなく、人に教えるのは好きだが、教わるのは大嫌いなので、テニスなどのスポーツが上達しようがない。私には、脳に習うための容量がないみたい、それだけでなく、教わって思考するというエネルギーを使う体力もない。高先生は、リベラルなのだが、テニスクラブの会員さんは、上流で上品、体制寄りの保守的な人が多く、どうも近寄りがたい。会員さんと政治的な議論してまい、私はさんざん罵られたことがあった。しかし、私を理解してくれる人もいる。辞めてしまったが佐伯さんは、思想的にリベラルで気があった。ドンキの前で靴屋さんをしている石渡さんもリベラルでとても気が合う。どうも、私は、リベラルな人と気が合うようだ。靴屋さんの石渡さんは、靴を買いにいくと、何時もまけてくれる。私が壁打ちしていると、見るに見かねてオーナーのママの和世さんが私に的を射ているアドバイスしてくる。指摘されて「あ、そうか」と。和世さんは頭がよく、考えが斬新でリベラル、だから気が合う。私もそうだが、クラブの会員さんは、気遣うクラブのママの和世さんの人柄に惹かれて入っている人が多いようだ。オーナーのよっちゃんは、頑固者でストレート、実直、昭和時代のおやじっていう感じ、相補性で夫婦関係がうまくいき、アットホームなクラブにしているのだ。かつて、インターハイ、全日本で準優勝の実績のあるクラブの息子さんの智弘さんが、昨年、クラブに戻ってきた。そして、タへな私と相手してくれる。高先生、石渡さん、中井さん、鈴木さん、智弘さん、そしてご夫婦さんのおかげで、運動音痴な私でも少しはラリーができるようになりました。ときどき、高先生が、智弘さんとラリーしに埼玉からやってきます。その後、高先生と食事するのが楽しみになっている。持病のぎっくり腰と右膝の変形性膝関節痛が治ったら、智弘さんに打ってもらって、うまくなって高先生をびっくりさせてやろう。私は、智弘さんと打ってもらってから「テニスが変った」と、よく言われる。テニスが好きな人、これから、テニスをやってみたい人、富士見テニスクラブに来てください。智弘さんと打ってみて下さい。変身するかも?古井先生、また、テニスを誘ってってください。