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Posture -姿勢-

Posture -姿勢-

人類は、2本の足で立ち上がってから700万年、人類は自由に動く腰を手に入れ、長距離を歩くことを可能にした。腰の骨に起きた変化がそれを可能にした。直立し、両手が自由になった人類は、道具を使い文明を作った。1万年前、農耕が始まると暮らしが一変し、腰への負担が増大した。歩くことを忘れ、便利さを追求する中で、膨大なストレスにあふれた社会を作りだした。その過程でヒトのほとんどが腰痛を経験するようになり、二足歩行を選んだ人類の宿命といわれるようになった。腰痛とは腰に痛みをおこす疾患の総称であるように腰に痛みをおこす病の総称であるが、その原因はわかっていないが、いかにして治療に参加できるか、考えてみたい。われわれの直立した姿勢は、過去に働いた自然淘汰の結果である。それによる疾患も、自然淘汰のせいで起こる。その姿勢によって起因する腰痛などは、遺伝子の伝達を最大化するように自然淘汰が体を作ってきた挙句の妥協の産物である。

直立二足歩行

1925年、レイモンド ダートは、南アフリカの解剖学教室に赴任し、坑夫が見つけた大後頭孔が下方に位置している頭蓋骨を手にし、これをアウストラロピテクス、愛称をタウングベイビーと名付け、直立歩行していたと主張した。しかし、多くの人に相手にされず、当時の権威、サー アーサー キースからは、ほら吹きペテン師と一蹴された。その発見から11年後、大人のアウストラロピテクスの化石を発掘され、サー アーサー キースは、いさぎよく非を認めて謝罪した。1974年、ドナルド ジョハンソンは、エチオピアのハダールのアファール三角地帯の谷間で、人骨を発見し、学名をアウストラロピテクス アファレンシスに、愛称をルーシーと名付けた。アファールの南の猿人という意味で、ルーシーは、膝関節のかみ合い方と、短く薄い骨盤をみれば、直立歩行していたと考えられた。ジョハンソンがこの骨を組み立てていたころ、メアリー リーキーは、タンザニアのラエトリ地方で、泥と火山灰が混じった地面に350年前の親子と考えられる3組の足跡を発見した。

直立への進化:脊椎動Z(魚類)

魚類時代は、体の波動運動で前進した。川に来た古代魚は、海水にカルシウムが含まれているが川にないので、それを備蓄する骨が必要になった。硬い骨を手に入れた硬骨魚類と称される脊椎動物が出現した。水中で進化した脊椎動物の魚は、泳ぐのに適するように直線的な背骨が、体の中央を走り、頭蓋の後ろから、尾鰭の付け根まで、脊椎は一直線、やや上方に後弯している。魚は、背骨で体重を支える必要がないので、椎間板がない。

魚両生類

地上に出現していた昆虫を食べるために、上陸した魚は、両生類に進化して頭が土についているので、背中を縦走する筋肉を用いて、上顎と頭を上げるように牽引するようにして開口するようになったため、頚前湾が出現した。

爬虫類

爬虫類になると脚が長くなり、頭を地面から離したことで顎を開口できるようになり、体の側にあった足が、体の真下にきて、胸後湾が出現した。ヒトは、脊柱を直立させ、二足歩行を始めると腰前弯が出現した。脊柱はS字状になり、長時間、直立していると、湾曲が強くなり、体幹長は短くなるようになった。この3つの湾曲によって直立した人の衝撃が緩和されるようになった。ヒトの乳児は、生後3か月が過ぎると、首が座り、だらりと下がることはなくなり、頚椎に前湾が形成される。生後10ヶ月になると、はいはいするようになり、胸後湾が出現し、胸椎以下が後湾する哺乳類の形態が出現する。1歳頃になり、つかまり立ちしだすと、腰椎の前湾が出現し、頚椎の前湾、胸椎の後湾、腰椎の前湾という人間特有の形態が形成される。
海に出現した我々の先祖の脊椎動物は、湾曲のない背骨の魚だった。それが、陸に上がって背鰭は4本の脚に進化した。その後、頚椎の前湾と胸椎以下の後湾を供えた哺乳類に進化した

更に、直立して、腰椎に前湾を作って人に進化した。この背骨の進化の過程を生後約1年間の成長の中で観察することができる。言葉を使い始めるころ歩くことができるようになる。(黒丸正四郎、三宅廉、新生児、日本放送出版協会、1976)地面から衝撃が足、骨盤、背骨、脳が入っている頭蓋へと上方に伝達される。上方への衝撃は回避されるべきなので、足に衝撃が伝達される時に、漆関節、股関節、背骨を屈曲させ、衝撃を吸収している。この3つの湾曲によって形成されたS字湾曲によって衝撃は、1/10に緩和されているという。

直立の発達過程(前段階)

人類と類人猿との違いは直立歩行をしていたかどうかとされている。人類進化の第1段階は直立である。直立したのは、直立する準備が整っていた状況にする必要があったからである。

個体発生

シグモンは、2足歩行への適応の過程を3段階で示した。
1.姿勢に対する前適応の段階で、多くの機会に2足歩行ができた。
2.直立姿勢が高い適応的価値をもつような環境に住んだことで、2足歩行、直立姿勢をとらざるを得なかった。
3.直立姿勢が普通の状態になり、それに応じて体の機構も適応してきた。

なぜ立ち上がったか?

シグモンは、2足歩行への適応の過程を3段階で示した。
その姿勢をとるということは、長期間にわたるなんらかの適応的な目的のために行ったものである。それは、生き残りと繁殖がうまくいくように適応しようとしたのである。その適応性は、過去の産物である。進化的適応環境の中にあった問題に対処するために形成され、繁殖成功度を増大させようとしたのである。爬虫類から哺乳類に進化し、哺乳類の樹上での生活は、平衡性をコントロールする為に、中枢神経の発達し、直立のきっかけになっていると考えられる。なんらかの、適応的な理由のために、高く見せよう選択圧が高まったために立ち上がったと考えられる。

運搬

オーウェン ラヴジョイは、二足歩行は、効果的な移動様式ではない為、物を運ぶための進化だのだという。チンパンジーは、餌を食べにいく時、子供は、母親にしがみついて食事に行くが、ヒトは、餌を持ちかえる必要に迫られ、手の解放が必要になり、立ち上がったと考えた。(ヒトはいつから人間になったか)

エネルギー

ピーター ロッドマン、ヘンリー マクヘンリー(カリフォルニア大学、デイビス校、人類学者)はエネルギー効率論を唱えた。ヒトの二足歩行の方が、エネルギー効率が良く、チンパンジーの四足歩行よりも効果的であるから二足歩行を選択したと主張した。2足歩行は、酸素消費量、膝、踵、股関節などの詳細な生体機構メカニズムを分析すると、2足歩行の方がエネルギー効率が良い移動様式であることが明らかになっている。
Sockol,M.D. et.al., (2007)Chimpanzee locomotor energetic and the origin of human bipedalism.Proceedings of Natural Academy of Sciences,USA 104(30):12265-12269

威嚇

人の直立には、同種、他種に強く見せるために直立したのだという説がある。ライオンを調教できるのも、人が直立して、背を高く見せているからであるという。女性には配偶者を通じて自分の地位を高めようとすう傾向があり、女性は背の高い男を交配相手に選ぶようになり、男性は背が高くなるように性淘汰された。進化は、異種間競争よりも、同種間競争が進化に拍車をかける。かくして、背が高い男が女性と関係を作ることができる可能性が高くなり、高く見せようと選択圧がかかった。

求愛

ヒトは、立ちあがった。お見合いで、女性が男性に求める条件に3高、高身長、高収入、高学歴というのがある。ヒトが狩猟生活をしていた頃から、背が高いと、捕食動物の発見、他の動物への威圧感、走行にも有利である。女性は、男の身長は、狩猟の成績、群れの順位に影響すると考え、背が高い男を選ぶように選択圧が高まった。背を大きくみせようと、強くみせようと立ち上がったひとつの原因であると考えられる。進化は、捕食者と被捕食者という関係より、同種間での競争の方がスピードアップされる。(男と女の進化論)他の理論に、背の高い草の向こうを見渡す必要があったから、直立した方が、日射の当たる面積が少なくて涼しいから、同種、捕食動物への威嚇、警戒などがある。

ブラキエーション

直立の原因とする腕わたり説は、小さいサルは、木の上を歩くことができるが、大きくなると不安的になって、ブラキエーションするようになり、胴体だけは、垂直な状態に適応するようになる。さらに、ブラキエーションしているテナガザルを地上に下ろすと直立歩行するように、そうした動物を地上に降ろすと、直立歩行するようになることから。ブラキエーションは、直立の前適応で、直立への移行を可能にしたと考える。しかし、ブラキエーションするようになると、親指は使用しないので退化し、上肢が長くなるのであるが、ヒトの親指は退化していなく、上肢は長くない。(人類進化学入門)チンパンジーは樹上4、地上6の割合であるが、オラウータンはほとんどの樹上生活なので、手が延び、足が退化した。(人類)

ナックルウォーキング

類人猿は、体が大きくなったので、森林を出て、サバンナに降りてきて適応していった。森林依存性の強いゴリラ、チンパンジーは、変形ブラキエーションから、ナックルウォーカーに進化したのに対し、ヒトは直立2足歩行に進化していったと考えられていた。しかし、2000年、アメリカの研究チームは、初期人類の化石の手首にナックルウォーキングの痕跡を見つけ、2足歩行の前段階だとした(人類進化の700万年)。