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不正咬合の起源 |
テオデシウス ドブジャンスキーは、形質、病気、疾患、行動のみならず、多くの現象を進化的視点から見なければならない理由を説明した。われわれには、病気や疾患のように不正咬合に罹患しやくする遺伝子がある。顔、顎、そして咬合という表現型は、遺伝子型が個人の成長の過程で、多くの微妙な環境要因によって影響を受けて表出したものである。しかし、咬合は、環境に対し生存するために進化させてきた遺伝形質が現代社会とは合わなくなっている。不正咬合のような形態が淘汰されないで残っているのは、疾患だとしても適応度を下がらなければ、あるいは、生殖に影響しないものであれば自然淘汰は改良しない。不正咬合の発端は、寒さに対する人間の適応であるが、適応はある種の妥協で、ある状況に対する改良は別の面で不利益を生む。たとえば、人類の二足歩行への進化は大きな脳を作ることを可能にしたが、胎児の脳が産道をとおりぬけるときに母子ともに苦痛をもたらし、頭を前方に向けて舌骨筋が緊張し下顎を後退させ、顎を狭くした。進化は矮小歯、欠損歯を解決策として用意した。顔、顎、咬合という表現型は、遺伝子型が個人の成長の過程で、環境要因に影響を受けて表出したもの。咬合は、環境に対し生存するために進化させてきた遺伝形質が現代社会とは合わなくなっている。咬合は、遺伝子の伝達を最大化するように自然淘汰が体を作ってきた挙句の妥協の産物である。残された子孫たちのもっている遺伝子の利益のために存在する。ヒトは25万年前、アフリカに出現し、その後、脱アフリカを果たした。人類の集団間の環境の問題による淘汰圧がヒトの集団間の差異をもたらした。顔面などの形態も長顔、短顔があるように集団ごとに気候に合わせて熱をためたり逃したりするように進化した。ある時代の進化による解決が、ある時代には問題を発生させた。人類発祥の地、東アフリカ、グレートリフトバレー、ヒトは25万年前、アフリカに出現し、その後、脱アフリカを果たし、集団間の環境の問題による淘汰圧がヒトの集団間の差異をもたらした。 人類の革命 ダートは、進化論を教えて大学を馘首された医師、ブルームと、南アフリカの4つの洞窟で、初期人類の化石を大量発見した結果、300-100万年前の南アフリカには、かなり多くの人類が住んでいたことを示したが、うそつき呼ばわりされ、熾烈な迫害をうけた。納得させるまで約4世紀半要したことになる。 アフリカのタンザニアの360万年前の地層から2足歩行の足跡が発見された。親指が前方を向き土踏まずがある。火山の噴火から逃れようとした時に足跡が残されたと考えられる。足跡を残したアウストラロピテクスアファレンシスの骨盤の中に、人類の骨の誕生の秘密が隠されていた。
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